マックス・フェルスタッペン レッドブルF1加入を決めたマルコの「20分」交渉

2014年、FIA F3ヨーロッパ選手権を戦っていたフェルスタッペンを巡り、レッドブルとメルセデスが獲得に動いていた。
しかし、すでにルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグという強力なラインアップを抱えていたメルセデスに対し、レッドブルは翌2015年からのF1参戦という具体的なプランを提示。その決断の速さが、後に4度のF1ワールドチャンピオンとなるフェルスタッペンの進路を決めた。
メルセデスとレッドブルがフェルスタッペン獲得を争う
当時フェルスタッペンは16歳。カートから四輪へ転向したばかりで、FIA F3ヨーロッパ選手権を戦っていた。
父ヨスと、現在もフェルスタッペンのマネージャーを務めるレイモンド・フェルミューレンは、息子の将来について複数の選択肢を検討していた。その中心にいたのがレッドブルとメルセデスだった。
54歳のヨスは『AutoHebdo』に当時の状況を振り返った。
「当時から、今と同じチームが我々の周りにいた。マネージャーのレイモンド・フェルミューレンは、私の親しい友人でもある」
「レイモンドとマックス、そして私だ。その体制は今でも変わっていない。だから、我々は非常にしっかりと準備できていた」
「トト・ヴォルフとヘルムート・マルコの両方が我々と話をしていた。どちらもマックスとの契約を望んでいた。そして我々がやるべきことは、マックスにとって最も良い環境を見つけることだった」
メルセデス側もフェルスタッペンの才能を高く評価していた。しかし当時のワークスチームにはハミルトンとロズベルグがおり、若いフェルスタッペンにすぐF1のレースシートを用意することは難しかった。
一方、レッドブルにはジュニアチームを通じてF1デビューさせるという選択肢があった。その違いが交渉を大きく動かした。
マルコの第一声「来年マックスをF1に乗せたい」
決定的な話し合いはホッケンハイムで行われた。ヨスによれば、マルコとの交渉はわずか20分だったという。
「よく覚えている。私はホッケンハイムにいて、いかにもヘルムートらしい話し合いだった」
「彼が我々のテーブルにやって来て、『20分しかない』と言った。私は、それだけあれば話をするには十分だと答えた」
そしてマルコは、ほとんど前置きなしに核心を切り出した。
「彼の最初の言葉は『来年、マックスを我々と一緒にF1で走らせたい』だった」
「それを聞いたときは、とても驚いた。それで私は『分かった、ヘルムート。それならやろう。ただし1年ではなく2年にしよう』と答えた」
当時まだ10代だった息子をF1に送り込む以上、ヨスは適応期間が必要だと考えていた。
「マックスは非常に若かったから、最初の1年は環境に慣れるために必要だと考えていた。そして2年目になれば、彼がどれだけの力を持っているのかを示せると思っていた」
「だが、彼は非常にうまく適応した。2015年の最初のシーズンが素晴らしかったので、2年目には早くもレッドブルへ昇格することになった。それは良い判断だったと思う」
17歳でF1デビュー 2年目にはレッドブルで初勝利
フェルスタッペンは2015年、レッドブルのジュニアチームであるトロロッソからF1デビュー。開幕戦オーストラリアGPでは17歳166日でスタートし、F1史上最年少出走記録を樹立した。
翌2016年にはシーズン第5戦スペインGPを前にダニール・クビアトと入れ替わる形でレッドブル・レーシングへ昇格。そして、その初戦でいきなり優勝した。
フェラーリのキミ・ライコネンを0.616秒差で抑えてチェッカーを受け、18歳227日でF1史上最年少優勝記録も更新。マルコが2014年に下した大胆な決断は、わずか2年足らずで結果につながった。
その後フェルスタッペンはレッドブルの絶対的エースへ成長し、2021年から4年連続でF1ワールドチャンピオンを獲得。現在までに71勝、131回の表彰台を記録している。

ヴォルフもフェルスタッペンを逃したことを「後悔」
一方、フェルスタッペン獲得の可能性がありながら契約に至らなかったヴォルフは、後にその判断を振り返っている。
ヴォルフによれば、ヨスとマックスはブラクリーにあるメルセデスのオフィスを訪れ、その後にはウィーンにあるヴォルフの自宅でも数時間にわたって将来について話し合ったという。
「彼らはブラクリーにある私のオフィスに来た。マックスがまだカートをやっていたころか、カート時代の最後、つまりF3に進む直前の2013年だったと思う」
「その後、マックスとヨスがウィーンにある私の自宅を訪れたときにも話をした。彼の将来について数時間話し合った」
フェルスタッペンを獲得できなかったことを後悔しているかと問われ、ヴォルフは認めている。
「もちろんだ。ただ、当時は選択肢にならなかった」
「私にはニコとルイスという、非常に満足していた2人のドライバーがいた。そしてニコが2016年末に去ったときには、バルテリ(・ボッタス)が選択肢となり、その時点でマックスはもう獲得可能ではなかった」
「将来のF1シート」を提示できたレッドブルの決断力
フェルスタッペン争奪戦を振り返ると、レッドブルとメルセデスの差は才能への評価そのものではなく、その才能に対して即座に何を提示できたかにあった。
メルセデスも早い段階からフェルスタッペン側と接触していたが、当時はハミルトンとロズベルグの体制を崩してまで16歳の若手を起用する現実的な理由がなかった。
対してマルコは、F3を戦っていたフェルスタッペンに翌年のF1シートを提示した。カートから四輪に転向してわずか1年でF1へ進ませるという異例のプランだったが、その大胆さがフェルスタッペン陣営の求めていた「最高の環境」と一致した。
「20分しかない」というマルコの一言から始まったホッケンハイムでの交渉は、フェルスタッペンとレッドブルの長い関係を決定づけることになった。そして、その決断を逃したヴォルフ自身が後に「もちろん後悔している」と認めたことが、当時の選択がその後のF1の勢力図に与えた影響の大きさを物語っている。
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