ミハエル・シューマッハ フェラーリF1加入時にアレジとベルガー放出を要求か

シューマッハはベネトンで1994年、1995年とF1ワールドチャンピオンを連覇した後、低迷からの脱却を目指していたフェラーリへ移籍した。
その舞台裏についてアレジは、シューマッハがチームメイトの選択を含め、チームの仕事の進め方に大きな権限を持つ契約を結んでいたと振り返っている。
シューマッハ加入をトッドに直接確認
1995年当時、フェラーリではシューマッハ獲得の噂が広がっていた。しかし、アレジによれば、当時チーム代表だったジャン・トッドから本人への説明はなかったという。
『High Performance Podcast』で当時について質問されたアレジは、シューマッハ加入の噂を知った際、トッドに直接確認したと明かした。
「僕は彼のところへ行って、直接聞いた。でも彼は『違う』と言ったんだ。その後、本当のことを知って、僕たちの関係はあまり良くなくなった」
当時のフェラーリは長くタイトルから遠ざかっていた。1995年はアレジとベルガーが合わせて14回のリタイアを喫し、ドライバーズランキングではアレジが5位、ベルガーが6位。アレジはカナダGPで自身唯一のF1勝利を挙げたものの、マシンの競争力と信頼性には依然として課題が残っていた。
一方、シューマッハはベネトンで2年連続のタイトルを獲得。フェラーリにとって、王者の加入はチーム再建を加速させる大きな転換点となった。

「僕たちに残留の可能性はなかった」
アレジによれば、シューマッハがフェラーリからのオファーを受け入れた段階で、自身とベルガーがチームを離れることは事実上決まっていたという。
「それはミハエル・シューマッハの希望だった。彼がフェラーリに加入するオファーを受け入れたとき、その点は完全に明確だった」
さらにアレジは、シューマッハに与えられていた権限について説明した。
「彼の立場では、チームメイトを選ぶことも、仕事の進め方を選ぶこともできた。当時はスペアカーもあったからね。すべてが彼を中心に決められることになっていて、僕たちに残るチャンスはなかった」
「『ミハエルが来るなら、君たちは残るのか?』という話ではなかったんだ」
ポッドキャストのホストを務めるF1ジャーナリストのトム・クラークソンが、「つまり、ミハエルが来れば、あなたは出ていくということですね」と確認すると、アレジはその理由を明確にした。
「そうだ。それがミハエルの契約に入っていたからだ」
これはアレジ本人による証言であり、シューマッハの契約書そのものが公開されて確認されたものではない。ただし、アレジの説明では、少なくとも当時のフェラーリ内部ではシューマッハ加入と既存ドライバー2人の退団が一体のものとして扱われていたことになる。
アレジとベルガーはそろってベネトンへ
結果として1996年、シューマッハはフェラーリへ移籍し、そのチームメイトにはエディ・アーバインが起用された。一方のアレジとベルガーは、シューマッハが離れたベネトンへそろって移籍した。
フェラーリ加入直後から、シューマッハはチームの改革で中心的な役割を担った。非常に熱心にテストや開発へ取り組み、ジャン・トッド、ロス・ブラウン、ロリー・バーンらとともに、後にF1史上屈指の成功を収める体制を築いていった。
ただし、その成果がすぐにタイトルへ結びついたわけではない。1996年と1997年はウィリアムズ、1998年と1999年はマクラーレンがドライバーズタイトルを獲得。シューマッハとフェラーリが頂点に立つまでには数年を要した。
2000年、シューマッハは日本GPで勝利し、フェラーリに1979年のジョディ・シェクター以来となるドライバーズタイトルをもたらした。その後も2004年まで5年連続でワールドチャンピオンに輝き、フェラーリ黄金時代を築いた。
アレジの証言は、その歴史的な成功へ向けた改革の出発点で、フェラーリがシューマッハを絶対的な中心に据えるために大きな体制変更を行っていたことを改めて示すものだ。シューマッハの加入は単なるドライバー交代ではなく、チームそのものの方向性を変える決断だったと言える。
カテゴリー: F1 / ミハエル・シューマッハ / スクーデリア・フェラーリ
