小林可夢偉 スーパーフォーミュラSF14 インプレッションレポート

2014年12月14日
小林可夢偉
小林可夢偉が、10〜11日の2日間にわたって岡山国際サーキットでテストしたスーパーフォーミュラSF14のインプレッションを語った。

今回は久々の国内での走行、国内レースの車両での走行でしたが、このテストに参加したきっかけを教えてください。
今年のスーパーフォーミュラSF14はオフシーズンのテストの時から話題になっていて、海外でも評判で気になっていたフォーミュラカーです。

フォーミュラE 第3戦 予選:ジャン・エリック・ベルニュがポールポジション

2014年12月14日
フォーミュラE
フォーミュラE 第3戦 ウルグアイ プンタ・デル・エステ大会の予選が開催された。

ポールポジションを獲得したのは、フォーミュラE初参戦となるジャン・エリック・ベルニュ(アンドレッティ)。今年までトロ・ロッソを戦ったベルニュが、初めてのマシンで実力を見せつけた。

2番手にはネルソン・ピケJr.(チャイナ)、3番手にはニコラ・プロスト(e.dams)が続いた。

マクラーレン・ホンダ、リカバリープランに着手

2014年12月13日
マクラーレン・ホンダ
マクラーレンのレースディレクターを務めるエリック・ブーリエは、ポストシーズンテストで苦しんだ新しいホンダエンジンの問題を解決するためのリパバリープランに着手したと述べた。

マクラーレン・ホンダは、先月アブダビで開催された最終テストでホンダのエンジンを搭載した開発車両「MP4-29H」を走らせたが、電気系のトラブルが多発し、2日間で3周するのがやっとだった。

バーニー・エクレストン、F1のV10エンジンF1復活を提案

2014年12月12日
バーニー・エクレストン
バーニー・エクレストンは、現在のF1エンジン形式への反対運動を諦めるつもりはないようだ。

バーニー・エクレストンは11日(木)に記者団と懇親会を開催。2016年に大音響の“自然吸気(NA)”エンジンをF1に復活させる提案を18日(木)のストラテジーグループのミーティングで提示すると明かした。

考えているのはV8かV10かと質問されたバーニー・エクレストンは、F1チームとマニュファクチャラーを指し「それは彼ら次第だ」と答えた。

ジェンソン・バトン、7億円の減俸でマクラーレンと契約更改

2014年12月12日
ジェンソン・バトン
ジェンソン・バトンは、2015年にマクラーレン・ホンダで走るために約600万ドル(約7億円)以上の減俸を受け入れたと報じられている。

マクラーレンのドライバー決定は長引き、ジェンソン・バトンが契約にサインしたのは、発表会前日となる10日(水)の夜だった。新たな契約の期間は2年とされている。

ロン・デニス 「バトンかマグヌッセンかは苦渋の決断だった」

2014年12月12日
ロン・デニス
ロン・デニスは、フェルナンド・アロンソのチームメイトにジェンソン・バトンとケビン・マグヌッセンのどちらか一人を選択するのは痛みをともなう決断だったと述べた。

マクラーレンは、2015年にフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンをレースドライバーに起用することを発表。ロン・デニスは、二人を“F1最強のラインナップ”と称した。

バーニー・エクレストン 「F1韓国GPの復活は実現しそうにない」

2014年12月12日
F1韓国GP
バーニー・エクレストンは、2015年にF1韓国GPが復活することはなさそうだと認めた。

今月FIAが発表した2015年のF1カレンダーには、F1韓国GPが驚きの復活を果たしていた。しかし、F1韓国GPが含まれた21戦のカレンダーは、全F1チームの合意を得ることなく、2015年に追加のエンジンを各ドライバーに与ええるための巧妙な手段だと解釈されている。

ケータハム、現在もチーム存続の道を模索

2014年12月12日
ケータハム
ケータハムは、当初設定した期限を過ぎた現在でもチーム存続の道を模索している。

F1アメリカGPとブラジルGPを欠場したケータハムは、物議を醸したクラウドファンディング方式とウィル・スティーブンスの個人スポンサーから資金を得て、2最終戦F1アブダビGPのグリッドに戻った。

レース終了後、管財人であり、臨時チーム代表を務めるフィンバー・オコンネルは、チームが来シーズンもう一度戻ってくるためには2週間ほどで購入者を見つけなければならないと警告していた。

フェルナンド・アロンソ 「2007年はF1キャリアで唯一の後悔」

2014年12月12日
フェルナンド・アロンソ
フェルナンド・アロンソは、2007年にやり残した仕事を成し遂げるためにマクラーレンに戻ったと述べた。

2015年、フェルナンド・アロンソは7年前に遺恨を残して去ったマクラーレンに復帰する。フェルナンド・アロンソは、2007年の失望も2015年に復帰しようと考えた理由の一部だと述べた。

「2007年は最高の感覚ではなかった」とフェルナンド・アロンソはコメント。
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