バレンティーノ・ロッシ
バレンティーノ・ロッシは、ヤマハに移籍しても結果が好転しなければMotoGPから引退するつもりだと述べた。

ドゥカティに移籍して以降、2度の表彰台しか獲得できていないバレンティーノ・ロッシは、ラグナ・セカでの転倒リタイア後、モチベーションを保つのが難しかったと認めた。

過去に成功を収めたヤマハへ復帰するという決断は、現在のパフォーマンスレベルを改善できなければ、トップでの時代は終わったことを自覚するのに役立つだろうとバレンティーノ・ロッシは述べた。

「スポーツマンに長い間うまくいかないことは影響するかと質問すれば、彼は『いいや、影響はない』と言うだろう」とバレンティーノ・ロッシはコメント。

「以前、勝利や10回目のタイトルが夢だと話したのはそれが理由だし、僕にトップのグリッド、勝利、最終的にはタイトルを争うことができるかどうか理解することが本当に必要だ」

「僕にはできないと考えたか? 正直、いかなるプログラムも作っていない。再び楽しみたいし、笑顔でレースがしたいんだ」

「5位や6位が続くようであれば、僕の時代は終わり、引退することになるだろう。僕は15年間レースをしてきた」

バレンティーノ・ロッシは、ドゥカティに成功をもたらせなかったことを謝罪したが、ヤマハと再び這いあがれることを望んでいると述べた。

「ラグナセカの後、将来に関して深く考える時間があった。僕、ドゥカティ、全ての僕たちのファンにとって、特にこのプロジェクトにおいて僕と一緒に働いたみんなにとって非常に残念だ」

「イタリア人ライダーとイタリア製のバイクで戦闘的になろうとトライしたけど、不運にもそうならなかった。この2シーズンは非常に困難だった。沢山の不運なことで格闘していた。グッドなポジションを争うために、僕たちのスピード、僕たちのパフォーマンスを改良できなかった」

「もう十分だった。キャリアの最後となるラスト2年に戦闘力があると思われるバイクでトライすることを決断した。ドゥカティで素晴らしい人たちと出会い、一緒に素晴らしい時間を過ごしたから悲しい。僕たちは全力でトライしたけど、残念ながら結果を成し遂げることができなかった」

「ヤマハでの2004年のような違いを生み出すことができなかった。でも、状況は変化している。今は当時よりもバイクがより重要になっている。それに2004年は僕は24歳だったし、絶頂期だった。今は33歳だ...」

「僕は2度生きたライダーだ。歴史で2人しか成し遂げたことのない5連続タイトルを獲得した。そのあと負けたけど、復活して再び勝った。3回生きた男になれることを願おう」

バレンティーノ・ロッシは、ヤマハからドゥカティに移籍した際についてきてくれた大部分のクルーがヤマハに来てくれると思うと述べた。

「僕のクルーは僕と一緒に来ることになるだろう。ヤマハからドゥカティに来てくれたほぼ同じメンバーだけど、まだ100%決定していない。いくつか関係を修復しなければならないと思う」

バレンティーノ・ロッシは、再びチームを組むホルヘ・ロレンソに敬意を表し、またヤマハでロレンソに勝てるかどうかはわからないと認めた。

「今、ホルヘがチームのナンバー1だ。僕たちの関係は良好だ。彼を尊重する。彼も僕を尊重するから、一緒にやれると思う。ヤマハにとって良い結果にトライするために素晴らしいなチームを結成できると確信している」

「将来については、2年間の結果次第。2年間以上、MotoGPで走りたいけど、M1で速いか、強いか次第だ」

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カテゴリー: F1 / バレンティーノ・ロッシ / MotoGP