キミ・ライコネン
キミ・ライコネンの謎めいた人物像。アイスマンの実像は? キミ・ライコネンに近い人々のインタビューでその内面を解き明かす。

“アイスマン”とは、2002年シーズン開幕時にマクラーレンのボスであるロン・デニスがつけたニックネーム。

そのクールな性格は、先天的なものだったとキミの母親ポーラ・ライコネンは語る。

ポーラはキミ・ライコネンが6歳のとき、非常に神経質になり、冷静さを失ったときのエピソードを明かした。

ポーラは、キミを定期健康診断のために医者のところに連れて行った。彼女が医者と話をしている間、キミはおもちゃコーナーで遊んでいた。たくさんのおもちゃがあったが、突然キミが興奮して爪を噛み始め、非常に神経質な行動をとったという。

ポーラは「医者は、キミにはおそらく集中力に問題があると考え始めました」と説明。

「でも、それはおもちゃが問題でした」

「当時、キミはジグソーパズルに興味を持っていて、待合室にあったジグソーパズルが簡単すぎると思ったらしいのです。年上の子供、10〜15歳向けのパズルを見つけたけど、手が届かなかった。医者のアシスタントが、そのパズルを渡さず、年上の子供用のパズルなので無理と話したんです」

「でも、キミが難しいジグソーパズルを手に入れてピースをはめるとやっと笑顔になったんです。お医者さんは笑っていました。この子の集中力には問題ないって」

キミ・ライコネンは、その年齢の頃に車の運転を学んだ。ポーラは、いつもキミの意志は非常に強かったと認める。

「キミはいつも自分のやりたいようにやります。こちらが何をしても、息子が自分で決めない限りは気持ちを変えることはできません。子供のとき、息子に家事を手伝わせようとしました。例えば、ゴミ箱を外に出してもらいたいときに息子がやりたそうではなかったら、反対のことを言わなければなりませんでした。『あなたがゴミ箱を外に出してくれないから、私が自分でやる』ってね。そうすると、たいていはキミがやってくれました」

では、両親がキミ・ライコネンにモータースポーツの世界的スターになる才能があると気づいたのはいつだったのだろうか?

「両親のような身近な人間にはそのようなことはわからないものです」とポーラは語る。

「キミが10歳くらいでフィンランドのジュニアクラスでゴーカートを始めたとき、その兆候には気づいたと思います。参戦者のひとりの父親が息子さんのメカニックとして経験を積んだ方で、その人が『カーナンバー104(キミ・ライコネン)に乗っている男の子は誰だ?』って質問を始めました」

「彼はあの態度とスピードがあれば上に進めるだろうって言ってました。彼は正しかったですね」

母親はキミ・ライコネンの強さも知っている。

「毎回勝ちたいという意思と決してあきらめない姿勢がキミです。レースを始めたときから、息子はホイールが回っている限りハンドルを握ってました。息子は “sisu” というフィンランド・スタイルの粘り強い闘志を持っていると思います」

キミ・ライコネンがF1復帰を決めたとき、ポーラは驚いたと語る。

「正直、驚きました。キミは、こちらが聞かなければ仕事の話はしません。でも、ウィリアムズと交渉しているという噂を聞いたので、息子に聞いてみたら、彼はロータスに行くことになるだろう、その方がよい選択肢って答えました」

「意外でしたね。友人たちは、キミはF1に飽きたので辞めたと言っていたのに、突然復帰したんですから。息子が休みをとったのはとてもよかったと思います。今は本当にレースを楽しんでいるように見えますからね」

親類や友人など、親しい人々は、レースファンとは全く違ったキミ・ライコネンを知っている。

キミ・ライコネンには感情が欠けているわけでもなく、ぶっきらぼうでもない。その反対で、彼は手助けをしたり、家族の世話をしたりするのが好きだという。

キミ・ライコネンの兄ラミには、ヨストスとティートスという二人の息子がいる。キミは、年上のヨストスの名づけ親であり、二人に絶えずプレゼントを持ってくるという。

ラミは「息子たちは、僕とキミのようなものだ。あらゆることで互いに競い合っている。キミは子供用のレースグッズをいろいろ買ってきてくれる。去年のクリスマスには、二人にタブレットを買ってくれたんだ。いや、サンタクロースが買ってくれたと言うべきかな」と明かす。

最近、ラミとキミはどのくらい親しいのだろうか?

「キミは弟だからね。普通の兄弟の関係だと思う。ほとんど毎週話をしているし、一緒にアイスホッケーや他のスポーツをしている。僕たちにはどちらも仕事があるし、それに時間をとられている。特にキミは仕事も移動も多いからね」

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カテゴリー: F1 / キミ・ライコネン / ロータス